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くろみき電波塔。

とりあえず続ける。

タモリ学/戸部田誠

ほん

今読み途中の「痴女の誕生」はなかなか難しくなってきて、テンション的にも痴女の勉強をしている場合ではなくて、だいぶ前に買って読んでいなかったこの本を段ボール本棚から取り出した。

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小中学生の時は人並みにテレビを見ていた私(といってもアニメ中心)だが、高校時代は父親が大嫌いで家にいるのも大嫌いでバイトを入れまくって、なるべく家にいない生活を送り、卒業後も朝から晩まで週休1日でバイトを掛け持ちして寝に帰るだけのフリーター時代を過ごし、数年後両親がめでたく離婚し、家にいるのが好きになった私はごくごく普通に会社勤めをするOL時代を迎え、ものすごく規則正しいい生活を送り、英会話教室やスポーツジムに真面目に通う意識高い系女子に成長したものの、それ故に家でテレビを見る時間はいつも少なかった。

その後、夜間の専門学校に通う為、初めての一人暮らしを始めるが、課題とバイトに追われ、家にいる時間は毎日6時間程度になりお金と精神をすり減らし中退、実家に帰ってまたフリーター生活(3つバイトをしていた時期もあったな・・・)を経て、不動産会社に就職。仕事が終わるのも遅かったり、スタバでのバイトも週1日続けていた為、仕事が終わってはスタバのみんなと取り憑かれたように遊ぶ日々。寝不足で会社に行く日が多く、テレビを見る時間はいらなかった。

鳥取に引っ越してきてからは、テレビを見ていない。私のテレビはプチプチに包まれたままである。

こんな生活を送ってきたテレビっ子とは程遠い私は、正直2014年の「笑っていいとも!」の終了に関しての驚きをみんなほど感じることもできず、適当に周囲と反応と話を合わせることしかできなかった。

78年生まれの筆者にとって、物心ついた時から、タモリタモリとしか言いようのない存在としてテレビの中にいた。

それは『いいとも』に「お昼の顔」として君臨するタモリである。

筆者の言う通り、85年生まれの私にとってもこの通りであった。

なんとなく存在して当たり前で、生活感がなくリアリティもなくて、人間でいて人間じゃないような、生まれた時から今のタモリとして「いいとも」に出ていたんじゃないかと思うくらい、「タモリさんってどんな人なんだろう?」という疑問すら感じないほどに、テレビっ子ではない私の中にも存在している人物だった。

この本は、今まで謎めいた存在だったにも関わらず、世の中に異常なほどに溶け込んでいたタモリのことがよくわかる本だった。

内容は、いわゆる立派な人が立派なことを当たり前に行ってきたものとも違うし、ゆるそうな人が実はものすごく立派なことを考えているものとも違った。

「何もできていない自分や何も考えていない自分」が嫌だったけど、このままでいいんじゃないか!と本書に登場する数多いタモリの名言に安心させられながら読み進めていた。それらを簡潔にまとめたのが以下の文章だと思う。

かつてタモリは「無計画、無責任、無目標、無国籍、無専門」の「5無主義」を掲げていた。反省もしなければ計画も立てず、目標も持たない。向上心も持たない。

それでも、世間に認められ続けたタモリ。いや、それ故になのかもしれない。けれど私は、少なくともタモリよりも何かを考えている自分になぜか少し安心していただけだった。

その後こう続く。

前章でも述べたが、タモリは過去や未来にこだわることの不毛さに対し、若い時から(あるいは幼少時から)問題意識を持ち、考えぬいた末に「現場を肯定する」という生き方を選択した。いかに執着を捨て、刹那的に生きることを選べるか。その実践として、「タモリ」がある。

私は、はっとさせられた。その生き方を選択するまでの行程がやはり必要なんだと。人様が考え抜いて作り出した生き方をそう簡単に真似できるわけがない。いくら尊敬する人の本を読んでも、話を聞いても、その人になれるわけでもないし、その人になりたいわけじゃない。尊敬してるからとか好きだからって同じ考え方、同じ価値観、同じ生き方をしてもきっと満足しないだろうし、おもしろくない。

それから、最近人と接する中で、疑問というか、違和感というか、嫌悪感というか、苦手だと感じること、上手くいかないことがあったのだが、それについてもタモリの言葉の中にヒントがあった。もしかしたら、私にとっては「逃げ」なのかもしれないけど・・・

「言葉」と「現実」が齟齬をきたすのは、活字や本の世界だけではない。「『人間、お互い話せばわかる』なんてウソ」だとタモリは言う。

「話せば話すほど言葉にだまされて、ますますわかんなくなる」「『話せばわかる』じゃなくって『離せば、わかる』」だ

私の場合、自分の考えがまとまりきってないのも一つの要因かもしれないけど、話せば話すほど、自分が無意識にウソをついてしまっているときがある。でも、「言葉」と「行動」がともなわない人は世の中にたくさんいる。自分で発した「言葉」に沿うことができないから、無駄に自己嫌悪に落ちいる。思ってないのにその場しのぎで言葉にしたなら、それは当然のことだ。人に何かを伝えるために言葉ももちろん必要だが、言葉じゃなくて行動で示さなくてはけないこともたくさんある。だから、必要以上に人の言葉に一喜一憂するのこともないのかもしれない。

長くなったが、普通の人よりタモリを知らない私がとても楽しめた本だった。と同時に、リアルタイムにタモリを見てこなかったこと、興味を持たなかったことに後悔した。だけど、私とは真逆の生粋のテレビっ子である筆者が今までのタモリを見事にまとめてくれていたことにただただ感謝した。「あとがきー僕にとって『タモリ学』とは何か」もなかなか面白かった。

僕が本書で書きたかったのは「僕のタモリ論」ではありません。凡庸な僕の考えなんてどうでもいい。そうではなく、これまでのテレビ、ラジオ、書籍、インタビューなどの発言やエピソードを抽出し、タモリさんの”哲学”を浮かび上がらせることがしたかったのです。

(中略)

すでに”表”に出ているものをまとめるだけでも、こんなにも立体的に面白く見ることができるんだ、とテレビっ子として証明したい思いもありました。

筆者の尊敬するタモリが否定していた「活字」と「言葉」で彼本人はこの本を作ったのだ。これは、彼が考え抜いた選択であったのだと思う。

最後の最後で、「タモリ」を通して筆者である「戸部田誠」の強い思いや考えも知ることができた一冊だった。

 

 

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