くろみき電波塔。

とりあえず続ける。

看板 ≒ わびさび

どうして、わたしは看板に惹かれるのか。

といっても、看板ならなんでもいいと言うわけでもない。

「個性的な文字が好き」ということはもちろんあるのだけど、個性的な文字をまとった看板の中でも、ものすごく惹かれる看板とそうでない看板があるのです。

そこに気づいてから、ずっと文字が好きなんだと思い込んでいたけれど、なんだかその理由だけではない気がして、自分の中にある微妙な感覚を説明しようと考えても言葉が見つからなくて、悶々とした日々を送っていました。

 

そんな時偶然出会ったのがこの本。(図書館でお借りしました)

f:id:miki0113:20170804063410j:plain

『わびさびを読み解く』Leonard Koren

 

“わびさび”=日本人が持つ独特の美学

くらいの漠然としたイメージしか持っていないわたしは、その美学を説明しろと言われても到底できません。

 

この本の中で、その“わびさび”を“モダニズム”との差異を用いてわかりやすく説明してくれていました。(一部抜粋)

モダニズム

  • 絶対的
  • 普遍的でプロトタイプ的解決策を模索
  • 大量生産/モジュール式
  • 未来志向
  • 鋭く正確で一定した形と縁取り
  • 行き届いた管理を要する
  • 潔癖さが表現をより豊かにする
  • 曖昧さや矛盾に非寛容
  • 冷たい

わびさび

  • 相対的
  • 個人的で型破りな解決策を模索
  • 一点もの/可変的
  • 即今志向
  • ソフトで曖昧な形と縁取り
  • 劣化や消耗を受け入れる
  • 腐食や汚れが表現をより豊かにする
  • 曖昧さや矛盾に違和感がない
  • 温かい

 

そうか、例えばオリンピックのロゴは“モダニズム”要素が強く、わたしがどうしても惹かれてしまう看板たちには、“わびさび”要素が強いのだと腑に落ちました。

 

わびさびは生命のはかなさの美的鑑賞である。

(中略)

わびさびのイメージは、私たち自身の生命に限りあることを直視させ、存在することの孤独と静かな悲哀を感じさる。私たちはまた、すべての存在が同じ運命を分かち合っていることを知っているがゆえに、ほろ苦さの入り交じった安堵の気持ちをも抱くのである。

 

看板は単なるデザインとして存在しているのではありません。

その場所、そのお店に関わる人びと、そしてそこで生き続けてきた長い年月、すべてひっくるめて今存在している。まったく同じ物など作り出せない、とても貴重なものなのだ、と改めて看板の魅力を再確認しました。

 

そして、今まで出会った“わびさび”を感じる看板たちを、少しでも“わびさび”を感じてもらえるような方法で残していきたいと思い、小さな小さな冊子を定期的に作っていこうと決めました。

最初は、コストかからないブログなどで紹介していくことも考えました。そうすれば、スマホやパソコンのディプレイを通して、より多くの方に見てもらえるし、大きく劣化することなくデータとして埋もれながらも残ってくれると思います。

でも、汚れたり、色あせたり、日に焼けたり、折れ曲がったり、破れたり、しみがついたりしながら、手に取ってくれた人と一緒の時間を過ごしていってほしいと思い、この方法をとりました。

記念すべき第1号。

f:id:miki0113:20170804074014j:plain

どこかで見かけたら、手に取っていただけるとうれしいです。